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終戦80年 ― 焼失を逃れた手水舎と神楽殿

終戦80年 ― 焼失を逃れた手水舎と神楽殿


昭和20年7月9日、岐阜空襲の夜。
本殿以下、境内の多くの建物は焼夷弾による炎で焼失しました。
しかし、手水舎と神楽殿(現社務所の一部)は奇跡的に焼け残りました。

当時の社殿は、日本建築史の巨匠・伊東忠太の設計によるものでした。
被災を逃れた手水舎も、同じく伊東忠太による意匠です。
戦後、焼失を免れた設計図をもとに、社殿は再建されました。

境内に残るこの手水舎と神楽殿は、あの夜を生き延びた数少ない証人です。